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風の祭事記

風の祭事記 ~祭り、イベント訪問記~

南大塚の餅つき踊り

大晦日の夜から元旦にかけて都内の王子で安藤広重の浮世絵にちなんだ狐の行列といった変わった行事が行われます。

・場所 : 西福寺(川越市南大塚2-3-11)、菅原神社
・開催日時 : 成人の日の前日
・スケジュール : 12時半から西福寺で行事の開始
・備考 : 県指定無形民俗文化財
*開催場所、日時、内容等は年によって異なる場合があります。

*** 南大塚の餅つき踊りの写真 ***

南大塚の餅つき踊りの写真
境内での餅つき(ツブシ)

この付近から玉石垣が見られます。

南大塚の餅つき踊りの写真
大きな動きの3テコ

マンションにもさりげなく玉石垣が使われています。

南大塚の餅つき踊りの写真
子供達の体験餅つき

 

南大塚の餅つき踊りの写真
振る舞われる餅

つきたてのお餅は至福です。

南大塚の餅つき踊りの写真
16号の歩道を移動

なかなかいい風景です

南大塚の餅つき踊りの写真
引き擦り餅

この辺りは両脇に玉石垣があります。

南大塚の餅つき踊りの写真
菅原神社前での3テコ

桜並木はここまでです。

南大塚の餅つき踊りの写真
仕上げのアゲツキ

この付近の桜は道路脇と斜面の二段構成です。

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* 南大塚の餅つき踊りについて *

川越市の南大塚では埼玉県指定無形民俗文化財に指定されている餅つき踊りという変わった行事が毎年成人の日に行われています。私の暮らしている地域周辺では餅つき歌というのが幾つかの場所で行われているので、これを知ったときには更に踊ってしまうのか!それは是非見てみたいととても興味を持ちました。

餅つき踊りというのは、その名の通りで1つの臼を数人で囲み、踊りながら餅をつくというものです。昔は北足立から入間地方にかけての米作地帯に広く行われたそうですが、現在では大宮市上加、桶川市上日出谷、東松山市金谷とここに伝わっているに過ぎないようです。

ここ南大塚の餅つき踊りは幕末の安政年間に子どもの「帯解き」の祝いの餅つきとして始まったといわれています。150年以上の歴史を持つ伝統のある行事となるでしょうか。「帯解き」は七五三的な長男・長女の7歳の祝いで、その家では「餅つき連中」に餅つき踊りを頼みます。この餅つき連中は頼まれた家の庭で餅をつきながら踊り、つき終わると次の家へ移動します。この移動の際にも「引き擦り餅」といって臼を引き摺りながら途中でも餅をつき、そして最終的に鎮守の菅原神社に参詣したそうです。これが南大塚の餅つき踊りの原型で、戦前までは11月15日の七五三の日に行っていたそうです。戦後になるとそういった風習が廃れ、それとともに餅つき踊りも一時途絶えてしまったそうです。その後、西福寺で地域全体の成人式行事として餅つき踊りが復活し、昭和52年には県指定無形民俗文化財としての指定を受けました。しかしながら年々参加する成人の数が少なくなり、平成15年からは地域の子供会と持ちつき踊り保存会の餅つき大会と名を変えて行われるようになり、現在にいたるそうです。

当日会場となるのは西福寺境内。多くの地元の人とカメラを構えた人達が訪れるので、境内は混み合います。でも餅つきは三回行われるので、三回目などは飽きた人達が後ろへ下がったりするので、最初はよく見えなくてもそのうち見る事が出来るかと思います。餅つき踊りは、ナラシ・テコ・ネリ・ツブシ・6テコ・3テコ・アゲヅキという六つの所作が連続して行われます。まず最初がナラシ。臼の中に蒸しあがったモチ米が入ると、大杵を手にした6人が餅つき歌に合わせ時計回りに移動しながら米をならしていきます。続いて一同が「押っせ、押っせ」のかけ声で練り回すネリ、杵をそろえて一斉につくツブシが行われます。ここからは本格的な餅つきとなります。テコはてこ棒のこと。6テコ・3テコというのは付く人数の違いを指しています。6テコは2人ないし3人ずつ組になって交互につき、3テコは3人による曲つきで、これがいわゆる餅つき踊りらしい餅つきとなるでしょうか。そして最後に臼の前に三人並んでつくアゲヅキで締めくくります。つき終わるとつきたての餅がきなこ餅にされて振る舞われます。

西福寺での餅つきは昔の農家の庭先という設定になるようで、振る舞い餅が行われた後、近くの菅原神社に移動していきます。お餅をつきながら西福寺から山門をくぐり16号の細い狭い歩道を窮屈に進み、そして菅原神社の参道に入っていきます。ここからは車などの心配がないので、本来の「引き擦り餅」を見ることができます。さすがに移動しながらはつきにくいようで、何回か止まって餅つきを見せながら進んでいきます。そして菅原神社の前に到着すると、ここで最後の餅つき踊りが披露されます。ここでついた餅は菅原神社に奉納され、節分の時に撒かれるとか。

現代的な感覚、いや私的な感覚からすると餅つきはかなりの重労働なので、歌ったり、踊ったりして紛らわしているのかなと思ってしまうのですが、ここの餅つき踊りはそういったものではないようで、見ていると昔のこの地方の人は心から餅つきを楽しんでいたんだろうなと感じました。というよりも、ただでさえ疲れるのに踊っていたら余計に辛いだけですね。しかしながら聞くところによると、このような餅つき踊りを頼めるのは一部のお金持ちだけだったそうです。その際にはかなりの量の餅をつくので、多くの若い衆が呼ばれたそうです。このような大番ぶるまいに招かれた若者が、景気よく踊りながら餅をつくといった接待餅的な一面があり、庶民は滅多に餅をつくことの出来ないのでこういう機会にみんなで楽しくやろうといった娯楽的な要素もあったようです。そう考えるとこの餅つき踊りは、娯楽を渇望するような質素な生活を送っている庶民が生まだした生活の知恵みたいなものかもしれませんね。

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<風の祭事記 南大塚の餅つき踊り 2016年2月初稿 - 2016年2月改訂>