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風の祭事記

風の祭事記 ~祭り、イベント訪問記~

大仏追善供養(船橋市)

江戸時代に漁場の境界を巡る争いが起き、その責任を負って投獄された総代を追悼し大仏に白米を塗りつけるといった変わった行事が今でも行われています。

・場所 : 不動院(船橋市本町3-4-6)
・開催日時 : 2月28日(定日)
・スケジュール : 午前10時から法要開始
・備考 : 市指定無形民俗文化財
*開催場所、日時、内容等は年によって異なる場合があります。

*** 大仏追善供養の写真 ***

大仏追善供養の写真
僧侶による法要

法要から始まります。

大仏追善供養の写真
焼香

関係者や参列者が線香をあげていきます。

大仏追善供養の写真
白米の盛り付け

頭から湯気が上がっています・・・。

大仏追善供養の写真
白米がだらけの大仏様

参列者が次から次へと付けていきます。

大仏追善供養の写真
白米の争奪戦

持って帰って食べると風邪を引かないそうです。

大仏追善供養の写真
行事後の大仏様

お腹一杯になって満足そうな表情をしていました。

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* 大仏追善供養について *

東京湾の最も北に位置する千葉県船橋市と聞けば、比較的都心に近いし、海岸は埋め立て地だらけで工場が建ち並び、ベッドタウンと工業地帯の町といったイメージを持ってしまいがちですが、漁業が盛んな土地でもあります。

船橋の漁業は江戸時代から盛んで、船橋沖の海は魚貝の豊富な漁場でした。元和元年(1615)、船橋に宿泊した徳川家康に地元の漁師が魚貝を献上した縁から、船橋の沖の漁場は徳川家に魚や貝を献上する御菜浦と定められ、課税免除や他村の漁師の入漁を禁止するなどの特権を得ていたほどです。

現在でも立派な漁港があり、千葉県は東京湾で捕れる代表的な魚、スズキの漁獲高が日本一番ですが、その中でも船橋港が一番となるようです。また船橋で水揚げされた海苔やあさりは江戸前として市場でも人気があり、海苔の味と香りは全国でもトップクラスだと言われていたり、東京湾に残された貴重な干潟三番瀬で採れたアサリは粒が大きく人気があります。同じ東京湾にある川崎の方は工業化によって海苔の養殖が全滅したのと比べると、工業と漁業がうまく共存していると言えます。

そういった古くから漁業の盛んな船橋では漁業にまつわる変わった行事が受け継がれています。それは大仏追善供養といって大仏に白米を塗りたくって供養するといったあまり見かけないものです。いわゆる奇祭といった部類に入るでしょうか。

大仏追善供養が行われるのは船橋市本町3丁目にある不動院で、門前にある石造釈迦如来坐像が主役になります。この像は像高80cm、台座等を含めた高さは185cmになる大きなものです。延享3年(1746)8月1日に起きた津波で亡くなった人々の供養のため建立されもので、基礎部はおよそ130名分の戒名と立顕者で埋めつくされています。

そしてこの坐像の後ろには供養塔が設置されていて、二名の名が刻まれています。これは文政7年(1824)に、他の村と漁場の境界をめぐる争いが起き、船橋の漁師が相手方の侍を殴打するという事件が起きました。その際に責任を取って漁師総代3人が入牢し、うち2人が亡くなりました。船橋の漁場を命がけで守った二人を供養するために建立されたものです。この翌文政8年(1825)から毎年1月28日(明治以降から2月28日)に先の津波で亡くなった霊とともに大仏追善供養が行われているそうです。

大仏追善供養は石造釈迦如来坐像と供養塔の前で行われます。まず僧侶によって法要が行われ、その後は参拝者による焼香が行われ、そして漁業関係者や参拝者によって白米の飯が盛り上げるようにつけられていきます。これは牢内で食が乏しかったのを償うためだとかいわれているようです。と言うことで、せめてこの日ばかりは白飯をたくさん食べてもらおうと、特に大仏様の頭部には沢山の飯が付けられていきます。

この大仏様に盛った飯を食べると風邪をひかないとされているので、塗った後はまたはがされていきます。中途半端にご飯がついている大仏様は子供っぽいというか、お茶目な感じがするというか、ちょっとほほえましい雰囲気が漂っていました。

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<風の祭事記 大仏追善供養 2016年2月初稿 - 2016年2月改訂>